ホーム 通信レポート クラブ活動2018 みんなの広場-1 歴史郷土を学ぶ科

岩槻の春を訪ねて

ホーム
上へ
秩父川瀬祭り
活動再開彼岸花
ドライビング、デイジー
レインマン自閉症の兄
馬室の郷
激戦の末、嶋田光孝さんが前回に続き優勝
関宿周辺を歩く
岡山兵庫を歩く
桶川を歩く
リカレント学生
ナイルの賜物エジプトの旅
岩槻の春を訪ねて
早春の上高地と安曇野を訪ねて
きたもと緑の森めぐり
重慶・四川省成都の旅
お茶屋敷発掘
2021年度投稿写真

平成31410

石黒廣行

1.日    時       平成31329日(金)

2.訪問地        岩槻市の早春と歴史的遺跡

3.目    的

    岩槻市は人形の町として、鴻巣と共に人形の町で有名でありますが、詳しいことは分からないが一度は行って見たいと思っていましたが、友人に誘われ良い機会と考えました。岩槻には歴史的建物や遺跡が多く残されており、季節的にも桜の花も見頃と考え出かけました。

4.コース

   岩槻駅      芳林寺     愛宕神社     岩槻藩遷喬館    時の鐘    久伊豆神社

 

   岩槻城址公園      浄源寺       鈴木酒造資料館      料亭ほてい家(昼食)

●岩槻区の歴史

   岩槻の地は古くから自然環境に恵まれ、区内に数多く残る遺跡から出土品などから1万年以上か  ら人間の生活が営まれたことが分かっています。岩槻(岩付)の名が登場するのは室町時代1382年の事です。江戸時代までは利根川、荒川などの大河がながれ、東北へ通じる街道が通る水陸交通の要衝でした。江戸時代に日光東照宮が造営され日光御成街道が整備されました。城下町としてまた宿場町として大いに栄えてきました。明治に入っても埼玉県東部の政治・経済の中心地でありました。昭和29年付近の町村が合併し岩槻市となりました。そして平成17年にさいたま市・岩槻市の合併により、さいたま市の10番目の区として「岩槻区」が誕生しました。

「芳林寺」岩附城主が開いたと伝えるお寺です。

境内には太田道灌の騎馬像があります。

「七重八重花は咲けども山吹の実の1つだになきぞ悲しき」、道灌に関する「やまぶきの寺」石碑

芳林寺の墓地の太田家霊廟全景、道灌.氏資を祀る

愛宕神社は岩槻城を築くにあたり外堀と土塁の上に祠を移し祀った。 

愛宕神社の大雛壇飾りは27300体の人形が並ぶ毎年225日より飾られる

「遷喬館」は岩槻藩の儒者「児玉南柯」が開いた私塾で後に藩校となる。現在も建物が残っているのは非常に少なく県内で唯一残っている

現在の岩槻藩遷喬館の内部(教場)、間取りは開校当初の姿を想定したものとなっている

「時の鐘」漢文11年(1671)城主阿部正春が造らせた岩槻のシンボルとして現在もなお、1日に3回美しい響きで時を告げています。

久伊豆神社の参道をすすむと鳥居に出会う

久伊豆神社の境内に多数のクジャクがタイミングよく羽根を広げていた。

「久伊豆神社拝殿」岩槻城の総鎮守江戸の鬼門除けとしても名高い由緒ある神社

岩槻城址公園にある池には、ギザギザの橋が特徴的な朱塗りの八ッ橋が架かる

岩槻城は別名岩付城、岩附城、浮城、白鶴城と言われ公園内に石碑が残っていた

明和7年(1770年)に造られた裏門、岩槻城の裏門と伝えられているが所在位置は不明

「黒門」門扉の両側に小部屋が付属する長屋門で、明治維新後に埼玉県庁の正門となり、後に知事公舎の正門となり、昭和45年現在の岩槻城址公園内に移築されました。

「浄源寺」京都西本願寺の末寺で境内墓地に旗本大岡氏の墓石があります。

「浄源寺」境内にある、見頃なシダレザクラ

「ほてい家」江戸の頃に創業した伝統を受け継ぐ老舗料理店「布袋屋」と書く。

ほてい家の玄関を入ると人形の町である証しである人形が多数飾ってありました

 
 
 

All right reserved by Ikigai-Inaga-NetClub

伊奈いきがいネットクラブ