平成30年6月6日
レポーター:加 藤
1か月ほど前に太田市にある金山城址と周辺の寺社の御朱印(女房が集めています)をもらいに行ってきました。城址内は要所に説明板があります。麓にミュージアムがありましたが時間の関係で省きました。伊奈から車で約1時間です。昼食は、太田焼きそばがおすすめとのことで、これを食べてきました。 【詳細情報は、ネットで確認してください。】
日 時 平成30年5月9日
訪問先 太田市金山城址・新田荘歴史資料館、(世良田)東照宮、呑龍寺、他
金谷城址の麓にある、呑龍寺の本堂の裏手に回ると呑龍上人のお墓がありました。
上人の墓の右手には、徳川家の祖 新田義重の墓があります。
駐車場から少し歩くと城址の入口で、金山城址の石碑があります
馬場下通路にある石垣を城の内側から撮りました。
日の池の説明板です。
(このような説明板が各所にあります。)
日の池です。月の池もあり、生活用水の確保と戦勝祈願等に使用していたそうです。
坂道を登り切るとこの石碑がありました。
展望が開け太田市内を見渡せます。
金山城の全体説明板です。
さらに奥に進むと新田神社がありました。
新しい道路から見上げた木橋(通路)です。
復元された、木製の通路です。
世良田東照宮です。
歴史資料館の前にある、新田義貞の像です。
前から気になっていた、平地にある3県境(埼玉、栃木、群馬)を見に行きました。北川辺の道の駅から、徒歩5〜6分程度です。駐車場の一角にある管理センタ2階で係の人から説明を受けることができました。ここから、渡良瀬遊水池を一望できます。ついでに古河市内を散策しました。
【詳細情報は、ネットで確認してください。】
日 時 平成30年5月24日
訪問先 3県県境、古河城址、古河歴史博物館、雀神社、他
平地にある3県境はここだけだそうです。
基準の杭です
田んぼの中にある3県境です
3県を同時に跨ぐことはできません。
渡良瀬川の堤防の上に古河城本丸跡の石碑がありました。(下の道路には案内板はないので注意)
石碑の横にある説明板です。
雀神社です。歴代の足利公方、古河藩主の敬を受け、厚い支援を受けていたとのことです。
古河市中田にある鶴嶺八幡神社です。
前の日、ネットを見ていた女房から春日部の地下神殿の予約が取れそうだと言われ、二つ返事で見学に行くことにしました。見学が15時からだったので、岩槻の寺社で御朱印をもらい、岩槻の豆腐ラーメンを食べてから向かいました。16号線一本で、すぐ近くまで行けます。直行なら、伊奈から50分程度で到着します。【詳細情報は、ネットで確認してください。】
日 時 平成30年5月31日
訪問先 首都圏外郭放水路(旧庄和町)、岩槻久伊豆神社、岩槻芳林寺、他
地下神殿入口です。奥に広がるグランドの下がD177m×W78m×H18mの巨大貯水槽です。
奥に見えるのが立坑です。4つの立坑から水路を経て、この立坑から貯水槽に集められます。
長柱はさ: 7m幅 :2m高さ:18m重量500トン
巨大な59本の柱で天井を支えています。
水が上のライン(白い看板)超えると奥の排水機場から江戸川に放水されます。
シニアだけでなく、若い人も見受けました。
特に外国人の方が多いのに驚きました。
外郭放水路の全体イメージ図の説明板です。龍Q館に展示されています。
中川、綾瀬川の流域は、勾配がゆるやかで、流れにくい地形ですぐに洪水になってしまう。
芳林寺にある太田道灌の墓です。左手奥に、高力正長の墓があります。
岩槻総鎮守の久伊豆神社、1の鳥居です。向かいの角に、新正寺曲輪跡の杭があります。
岩槻久伊豆神社の本殿です。孔雀がいる神社としても有名なようです。
追記:明治4年埼玉県が発足した時、芳林寺を県庁としていたことを後から知りました。
石黒さんの“菖蒲情報”を見て、堀切菖蒲園に行くことにしました。駅から徒歩10分程度です。園に向かう歩道脇にたくさんアジサイがあり、こちらもきれいに咲いていました。日暮里から京成線に乗り換えると運賃がお得です。飲会の時間調整で上野科学博物館に立寄りました。ご存じでしょうか?菖蒲園も博物館も無料です。【詳細情報は、ネットで確認してください。】
日 時 平成30年6月1日
訪問先 堀切菖蒲園、上野科学博物館
ほぼ満開です。
天気もよく多くのシニアの方が来ていました。
“ ? ” 記録漏れ
“雲間不二”です。
“神代の昔”です。
“追い風”です。
“水の光”です。
“町娘”です。
アジサイも沢山の種類がありますね。自分なりに、よく撮れた2点を追加しました。
動 機 今日は梅雨の合間。天気が良くなってきたので、アジサイで有名な能護寺へ 出かけました。アジサイは雨の中が一番ですが、雨が降った翌日も綺麗な写真が撮れると思いました。
日 時 平成30年6月13日訪問先 能護寺(あじさい寺) 住所 熊谷s井太田1141
能護寺は、行基上人により天平15年(743)に開山されました。それから後に 空海(弘法大師)が天下泰平、五穀豊穣祈願のため真言密教の道場を開いた と伝えられています。
能護寺は境内に50種800株があり、入山料300円かかりますが、管理等考えれば安いと思います
鐘楼堂の鐘は、元禄14年(1701)諸八郎兵衛藤原正綱の鋳造、建物は明治26年に再建された
これだけは名前が記入してあって「雨に唄えば」
小鉢のアジサイ、丹精を込めて手入れをすればこのようにカラフルで美しいアジサイを楽しむことが出来る
色のバランスが素晴らしかった
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