最後の訪問地である彦根に向かう。関ヶ原の戦いの後,井伊直政は石田三成が築いた佐和山城に入ったが,その子の代に目の前の彦根山(標高50m)に彦根城を築城した。
彦根城の天守は国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。彦根城の天守閣は解体寸前に明治天皇の指示により解体を免れた。進言したのは大隈重信という説と天皇の従妹のかね子(住持攝専夫人)という説がある。標高が低いせいもあり山頂にある天守閣一帯まで楽に登れる。ただ,最後の天守閣一帯に行く道は一本の橋しかなく,その橋を壊す事で籠城出来るようにしてある。天守閣一帯の外側に向いた城壁の壁は厚く鉄砲に備え石を埋め込んであるそうだ。
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