街歩き倶楽部
事務局 石黒
1. 実施日: 平成30年6月14日(木)
2. 集合場所: 桶川駅9:15集合
3. 費用: 交通費各自負担、食事代含む
4 コース
桶川駅改札前 浄念寺 武村旅館 島村家土蔵 本陣 大雲寺 いしづか(昼食)
9:15 11:40〜12:20
桶川西口 🚌 熊野神社古墳 泉福寺 紅花摘み取り 歴史民俗博物館 🚌 桶川駅12:35 12:45 16:46発 17:00
5. 感想
今回の街歩きは、クラブを起ち上げたコンセプト「街を歩き、歴史的な建物遺跡を訪ね、美味しい物を食べる」にピッタリな一日となりました。場所は江戸時代の中山道の中でも栄えた桶川宿。昼食は名物のうどんを食べ、午後は中世古墳の見学、歴史博物館の学芸員の講義を聞くという盛りだくさんなものでした。普段は公開していない本陣の建物まで見学できた事、色鮮やかな紅花の摘み取りができたことなど心に残る街歩きとなりました。地元の内田さん、佐久間さんにはガイドの依頼やコースの選定など大変お世話になりました。ありがとうございました。
熊野神社古墳(県指定史跡)
桶川駅東口で市内の地図を見ながら、ガイドさんから説明を受ける。
浄念寺、朱塗りの山門、両脇に仁王像、2Fに梵鐘1741年鋳造された鐘は戦争で供出。
江戸時代の旅館の姿を残し今も営業している旅館。2階建てに見えるが一部3階建てとなっている
木戸跡(下)跡、夜間は木戸の門があって、不審者の取り締まりを行っていた。北には木戸跡(上)
穀物問屋を営んでいた島村家の土蔵。天保飢饉の際、蔵を建てることで人々に仕事を与えたことから「お助け蔵」と呼ばれている。(B班メンバー)
島村家の店舗を5mバックする為工事中、この工法は曳家と呼ばれている。この業者は、弘前城を移動させた業者です。
桶川宿本陣遺構、本陣が置かれたのは寛永年間と言われ、初代は府川甚右ヱ門、敷地は千坪あったと云われている。
中庭から本陣全景を望む・右奥は湯殿、皇女和宮の御下向の折りお泊りになる。現在県内に残る本陣の唯一の遺構。
桶川稲荷神社の拝殿前の石灯籠には、寄進した紅花商人の24名の名が刻まれている。
江戸一番の力持ちと言われた力士、三ノ宮卯之助が待ちあげたと伝えられる「力石」約600kg以上
大雲寺しばられ地蔵、女郎買い地蔵とも呼ばれ、背に鎹打ち付け鎖で縛られ動けなくした。
「いしづか」食堂、桶川は冠婚葬祭の折り手打ちうどんの風習があった。うどんが美味かった
熊野古墳の前でガイドさんの説明、この古墳は高さ6m、直径30mの円墳。4世紀の後半に築造
荒川の土手よりホンダエアーポートを望む、セスナ機が爆音を響かせ離着陸をしていた
泉福寺の山門、泉福寺は829年慈覚大師円仁が開山したと伝えられている。
山門の左右の仁王様、木造の仁王様がほとんどなのに石造りは珍しい。壁には石造りの草鞋。
紅花摘み取りの場所で、紅花娘登場。この紅花を利用して紅花染をするとの事、出来上がりが楽しみ。作品が出来ましたら是非拝見させて下さい。
展望台より紅花畑を望む。桶川で紅花が栽培されたのは寛政年間の初めで、東北の最上に比べて早く収穫できるので「早場もの」として珍重された。
弁花の色が黄色〜紅色へと変化していくのが分かる。
偶然の縁があり、ハーモニカクラブの演奏で歓迎を受けた。練習の成果が出ていて上手でした。
桶川市歴史民俗資料館の学芸員の解説を受ける
江戸時代の桶川宿の模型、精巧に出来ていて当時の中山道の建物配置が良く分かる。
紅花染は花を使用する珍しい染です。紅花の色素は黄色99%紅色1%で手間がかかり高価な物。(資料館に展示してある紅花染生地)
紅花摘み取りで購入した紅花を早速玄関に活ける。ドライフラワーにするので水を入れない。配色が良いので素晴らしい生け花となった。
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