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街歩きクラブ
事務局:石黒
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1.訪 問 地 武蔵嵐山・嵐山史跡博物館・菅谷館・大蔵館跡・嵐山渓谷
2.実 施 日 平成30年11月28日(水)
3.集合場所 東武東上線「武蔵嵐山駅」 午前10時 西口改札口
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4.コ ー ス
武蔵嵐山駅 (15分) 菅谷館跡 歴史博物館(1時間) 国立女性会館(昼食)
10:00 10:30(ガイド) 12:00〜13:00
大蔵館跡 桜並木道 嵐山渓谷 武蔵嵐山駅 (解散) 駅近飲み屋(希望者)
(全行程約10�でゆっくり歩いて3時間位)
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5.ポイント
京都の嵐山に例えられた「武蔵嵐山」と言う街を歩いて見たいと思います。本場である京都の紅葉も素晴らしいものですが、武蔵嵐山も負けない位に見どころがあります。 そんな中で歴史博物館や史跡を訪ね、嵐山渓谷の紅葉を楽しみたいと思います。
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6.感想
1週間の天気予報では、傘マークがついていましたが、前日の予報では夕方にかけて雨が降ると変わっていましたので、ホッとしました。紅葉している葉は太陽の光が当たらないと暗く沈んだ色になってしまい、紅葉の美しさがなくなってしまう恐れがあるからです。
嵐山町は歴史郷土を学ぶ科のグループ学習で訪れた方もいますが、多くの方は初めてなのでどんな歴史的共感に出会えるか、心にワクワク感が一杯でした。それと嵐山渓谷の紅葉がどのように綺麗なのか、早く見たい気持ちで家を出かけました。
今回の街歩きは10�以上歩くというので、会員の皆さんは不安をもって臨んだ事と思います。昼食に栄養たっぷりで美味しい食事を頂き歩き始めました。楽しいお喋りや雄大な景色に見とれ、美味しい空気を胸いっぱいにして歩くと疲れを感じませんでした。
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この写真にはゴーストがいます、よく探してみて下さい。
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嵐山歴史博物館は臨時休業であったが、ガイドさんによる菅谷館について解説を受ける。
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菅谷館跡の平面図、鎌倉時代の畠山重忠の居城と言われ、面積13万�と広大であった。
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菅谷館は鎌倉時代の代表的な武蔵武士の館として昭和48年5月に国の史跡に指定された。
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出桝形土塁は本廓を取り巻く土塁の一部を桝形に飛び出せたもので横矢をかける構造。
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三ノ廓にあるブナかコナラの種類は不明であるが綺麗な黄葉であった。
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同じ三ノ廓にあるモミジの紅葉が綺麗であった。
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向徳寺の板碑群、最も古いものは1250年頃で、死者の追善供養や極楽往生を願い立てました。
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源義賢の墓、帯刀先生とは東宮を警護する武官の長官。木曽義仲の父。
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大蔵館跡、源義朝は館を攻め義賢を討つ大蔵合戦があり、駒王丸(木曽義仲)は木曽へと逃れた。
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都幾川に沿った約7�の桜並木、春の満開は素晴らしいと思いながら重い足を引きずりながら歩く
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ラベンダー畑、こちらは「関東一」から「日本一」を目指していて来年の春が楽しみである。
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京都鴨川を連想させる飛び石、水かさが増えると渡れなくなるが今日は十分に渡れました。
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★地名の由来
「武蔵嵐山」は昭和3年に当地を訪れた本多静六博士によって名付けられたものです。槻川橋より渓谷と周囲の赤松林の美しいい景観を眺め、その様子が京都の「嵐山(あらしやま)」に大変よく似ているという事で、武蔵国の嵐山という意味で命名されたという事です。嵐山渓谷の紅葉は、我々が10�以上も歩いた事が嘘のように、足も軽やかになり紅葉の道を十分に堪能した1日になりました。 皆さんの健脚に\(^o^)/です。
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